LITTLE✞PRAYERS

福音伝道教団太田キリスト教会の子どもクラス ハッピーキッズの記録

イエスさまのバプテスマ

今日のみことば

「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」マタイ3:17

先週は、イエスさまが少年のころのお話でしたが、今日はおとなになったイエスさまのお話です。

 

エスさまが30歳くらいの時でした。

ヨハネという人が、人々にバプテスマ(洗礼)をさずけていました。

このヨハネのことは、以前にもお話を聞いたことがあると思います。

祭司ザカリヤとエリサベツの子どもでしたね。

ヨハネがまだエリサベツのお腹の中にいた時、マリアもまたイエスさまをさずかり、エリサベツに会いに行っています。

 

こちらを読んで思い出してね👇

ヨハネは、旧約聖書に預言されていた、イエスさまが来られる前に人々の心を整える役割を担っていた人です。

たくさんの人がヨハネのところに来て、罪を告白し、川でバプテスマを受けました。

 

ある時、何とイエスさまがヨハネのところにやってきます。

バプテスマを受けたいとおっしゃるのです。

エスさまが水から上がられた時、天が開けて聖霊が鳩のように下りました。

そして、神さまの言葉が聞こえます。

それが、今日のみことばです。

 

エスさまは、罪を犯したことがありません。

だから、本当はバプテスマを受ける必要はないんです。

でも、イエスさまはなぜバプテスマを受けられたのでしょうか。

 

その理由は、次のようなことが考えられます。

★私たちにお手本を示してくれた

★これから十字架にかかって、すべての人の罪を背負うことの決意表明

 

エスさまの決心を、神さまは喜ばれました。

 

今日のお話はめぐみ先生です。

 

けいた先生のゲームは「動物ババ抜き」というカードゲームでした。

 

子どものころのイエスさま

きょうのみことば

「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった」ルカ2:52

今日から、新約聖書のメッセージになります。

エスさまが子どもだったころのお話です。

この時代の子どもの教育(学校)は、公民館のようなみんなが集まる場所で行われていました。

書物(本)はとっても貴重なものだったので、聖書はひとつの町に1冊あるかないかという感じでした。

子どもたちは、ラビ(先生)が話すモーセ5書の教えを、耳で聞いて覚えたのです。

 

モーセ5書の教えというのは、

・神を愛すること

・隣人を愛すること

が、中心でした。

 

耳で聞いて覚えた子どもたちは、いざという時に、いつでもみことばが出てきました。

また、家でもお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんから聖書のお話を聞いていたようですよ。

 

さて、ユダヤ人たちは、記念日をとても大切にしていました。

過越(すぎこし)の祭りもそのひとつ。

年に1度、この日はみんなでエルサレムに行きます。

家族ごとではなく、グループに分かれて行っていたようです。

この時、イエスさまは子どものグループにいました。

子どものグループの中でもいちばん年上だったので、小さい子どもたちの面倒を見ていたりしたのでしょう。

エルサレムの帰りのことです。

お母さんのマリアとお父さんのヨセフは、子どものグループの中にイエスさまの姿がないことに気がつきます。

 

3日間さがしまわって、やっとエルサレムの神殿にいるイエスさまを見つけました。

そこでイエスさまは、聖書を研究しているおとなたちとともに対話をしていたのです。

普通はおとなが子どもに教えるものですが、反対に子どものイエスさまがおとなたちに教えていました。

 

心配していたマリアとヨセフに、イエスさまは当然のように言います。

「ぼくが自分のお父さんの家にいるのは、あたりまえでしょう?」

エスさまは、このころにはもう、自分が十字架にかかることがわかっていたのかも知れません。

 

過越の祭りは、とても大切なイベントです。

以前、モーセによるエジプト脱出のお話を聞きましたね。

happykids.hateblo.jp

この時、まことの神さまを信じる人たちだけは、子羊の血を身代わりにすることで、災いから救われたのです。

過越の祭りの最後に、人々は子羊をささげます。

子どもたちは、これによって罪が許されることを学ぶのです。

でも、イエスさまは、ご自分が子羊であることを知っていたのでしょう。

過越の祭りは、イエスさまの十字架を思い出させます。

 

メッセージはくみこ先生でした。

けいた先生のゲームは「ワードバスケット」というカードゲームです。

ノアとはこぶねと約束の虹🌈

今日のみことば

「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間のけいやくのしるしである」創世記9:13

今日もけいた先生が面白いゲームを持って来てくれました。

「お菓子の魔女」という、カードゲームなのですが、バランスゲームでもあります。

お菓子の家の屋根にカードがのっています。

そのカードを1枚引いていき、屋根を崩してしまったら終了です。

カードの枚数が多いチームがキャンディーをもらえます。

2つキャンディーをゲットしたチームが勝ちです。

カードをひっくり返すとお菓子のイラストが描いてあるのですが、同じお菓子のカードを引いたら戻さないといけません。

壁もカードを立てているだけなので、屋根を引き抜いていくのはドキドキでした。

今日のお話はくみこ先生です。

アダムとエバは、自分たちで幸せを捨ててしまったのでしたね。

ゆうわくに負けて、罪をおかしてしまったのです。

世界のあちこちに増えていった人間ですが、人々は神さまを忘れて、自分のことしか考えていませんでした。

神さまは悲しまれ、その人たちをほろぼすことになさいました。

でも、その中に、神さまを信じている人たちもいたのです。

それが、ノアとその家族でした。

神さまは、ノアにはこぶねを作るようおっしゃいました。

海のないところでふねを作り続けたノアたち。

人々にばかにされながらも、神さまを信じて、はこぶねを完成させました。

ノアと家族、動物たちがはこぶねに入ると、大雨が降り、世界はたちまち水にしずんでしまったのです。

ノアたちがはこぶねから出たのは、1年後のことでした。

ふねから出たノアたちが、最初にしたこと。

それは、神さまへの礼拝でした。

みんなでお祈りをしました。

そんなノアを神さまは喜ばれて、約束をして下さいました。

それは「もう二度と大水で人間をほろぼすことはしない」というものでした。

その約束に、きれいな虹を見せて下さったのです。

虹の画像は筆者が自宅近くで撮ったものです🌈

 

世界でいちばんはじめの「罪」

今日のみことば

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないを通して、価なしに義と認められる」ローマ3:23 ~24

今朝はあいこ先生の担当で「世界でいちばんはじめの罪」というお話です。

 

神さまが最初につくられた人間アダムとエバは、エデンの園で何不自由なく暮らしていました。

しかし、神さまの命令がひとつだけありました。

それは、エデンの園のまんなかにある「善悪の知識の木」の実だけは食べてはいけないというものでした。

それを食べると「必ず死ぬ」と神さまは言われたのです。

 

ある日、ヘビがエバに近づいてささやきました。

「神さまは、どの実も食べてはいけないと言ったのかい?」

エバは答えます。

「神さまは、まんなかの木の実だけは食べてはいけないとおっしゃいました。私たちが死ぬといけないから」

「そんなことはない。あなたたちは死なない。これを食べると、神さまみたいになれるんだ。だから神さまは、食べてはいけないと言ったんだよ」

ヘビは、実は悪魔(サタン)が姿を変えたものでした。

エバは、ヘビにそそのかされてその実を食べてしまっただけでなく、アダムにもすすめてしまいます。

「善悪の知識の木」の実を食べたふたりは、自分たちがはだかでいることに気がつきました。

ふたりは、はずかしくなってかくれました。

はずかしかっただけでなく、悪いことをしてしまったので、神さまがこわいという気持ちもあったのでしょう。

神さまは、おっしゃいました。

「誰があなたたちにはだかであることを教えたのか? 木の実を食べたのか?」

アダムは、

エバがくれたから食べました」

と答えました。

エバは、

「ヘビが食べろと言ったから食べました」

と答えました。

ふたりは、あやまるどころか、人のせいにしてしまったんですね。

 

神さまにそむくことを「罪」と言います。

罪というと、人殺しやどろぼうなどを思い浮かべるかも知れません。

でも、聖書の「罪」は「神さまの言うことを聞かないで、神さまを悲しませること」です。

 

こうして、世界に罪が入ってしまいました。

その結果、ヘビは地面をはいずりまわって生きるようになります。

エバは、子どもを生む時に苦しむことになります。

そしてアダムは、汗を流して働かなければならなくなったのです。

それから、人は土にかえって死ぬことになりました。

 

神さまは、アダムとエバエデンの園から追い出してしまいました。

でも、ふたりをかわいそうに思って、皮でつくった衣を着せて下さったのです。

神さまは、罪をおかしたからといって、人間を見放したわけではありませんでした。

世界中では、戦争や事件が起きていますが、それも罪の結果によるものです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、そんなふうには見えませんが、罪を持っています。

人間はみんな、罪を持って生まれてくるのです。

でも人間を愛して下さっている神さまは、イエスさまの十字架のあがないを用意して下さいました。

それによって、私たちは、罪が許されるのです。

私たちは、サタンの誘惑に負けないよう、神さまに助けて下さいと祈りましょう。

 

今日のけいた先生のレクリエーションは「1kgを当てる!」というゲームでした。

目盛りをかくしたはかりに、ものをのせていき、1kgだと思ったらストップします。

1kg当てるのって、意外とむずかしい~(@_@)

神さまが人間を最後につくったわけ

今日のみことば

「神は人をご自身のかたちとして創造された」創世記1:27

先週は、神さまが美しい地球をつくられたことを学びましたね。

神さまは6日目に人間をつくられたのですが、

なぜ、人間を最後につくったのでしょう?

 

それは、この地球が人間のためにつくられたからなんです。

人間が生きていけるように、そして、それだけじゃなく、美しいものや楽しいことも用意してくれました。

「色」がこんなにたくさんわかる動物は、人間しかいないそうです。

「虹」は、人間にしか楽しむことができないのです。

 

それから、人間は「神のかたちに似せて」つくられました。

特別に「いのちの息」をふきこまれました。

じゃあ、神のかたちって何だろう?

人間が他の動物とちがうところは、下のとおりです。

 

①ことば

②楽しむ

③考える

④愛する

⑤神を信じる

⑥仕事

 

人間が神さまからいただいたいちばんすごいところは⑤の「神を信じる」ということです。

今を生きる私たちは、イエスさまの十字架を目撃したわけではありません。

それでも、神さまのご計画を、信じているのです。

 

神さまは、人間を特別に愛して下さっています…。

 

今日のお話はくみこ先生でした。

 

それからけいた先生オリジナルのクロスワードパズルをやりました。

みなさんもぜひ、聖書片手にチャレンジしてみて下さい!

 

世界をつくられた神さま

今日のみことば

「はじめに神が天と地を創造された」創世記1:1

このみことばを覚えている人は、多いのではないかなと思います。

なぜなら、聖書を開くと、いちばん最初に書いてあるからです。

聖書の始めは「創世記」といいます。

ここには、神さまが世界をつくられた時のことが書かれているんです。

世界にはもともと何もありませんでした。

聖書には、水の上に闇があったと書かれています。

まず神さまは「光があるように」とおっしゃいました。

すると、まっ暗な世界が明るくなったのです。

神さまは明るい昼と暗い夜を分けられました。

これが1日目です。

2日目に神さまは、大空をつくり「天」と名づけられました。

3日目に水とかわいたところを分けられ、海と陸ができました。

それから、草や木をつくりました。

4日目に太陽と月、星をつくります。

5日目は空や水の中に生きる鳥や魚をつくりました。

6日目に地上で暮らす生きもの、そして最後に人間をつくられたのです。

 

神さまのみわざによって、この世界はできました。

私たちは1週間を7日とし、日曜日には教会で礼拝をしますね。

それは、世界をつくられた神さまが7日目に休まれ、完成した世界を祝福されたからなんです。

 

今日はけいた先生のお話でした。

 

レクリエーションは、楽しいお菓子釣りゲームでした!

 

天にのぼられたイエスさま

今日のみことば

聖霊があなたがたの上にのぞむとき、あなたがたは力を受けます」使徒1:8

4月最後の日曜日です。

今月は何の工作をしようかなあと考えていたのですが、家にストローがたくさんあったので、これを使うことにしました。

カットしたストローに紐を通して回転させると、あら不思議、かわいい星のできあがり★★★

ストローの星の作り方は、色々なサイトを参考にさせていただきましたm(__)m

さて、今日のお話はくみこ先生です。

十字架で死なれ、お墓から出てこられたイエスさま。

それをお祝いするのがイースターでしたね。

エスさまは、その後40日間この地上におられました。

それから、天にのぼっていかれたのです。

エスさまは、どうして帰っちゃったんだろう?

せっかく復活したのに。

地上にいれば、自分で人々に神さまのお話ができたのにね。

 

でも、イエスさまは、天に帰ることで、私たちが同じように天国に行けることを見せてくれたんです(体ではなく、たましいとなって)。

私たちのために、天国に場所を用意してくれているんです。

それは、私たちが死んだ後の希望となりました。

 

それからもうひとつ、イエスさまがずっと地上にいらっしゃるということは、私たちも永遠に地上にいなければならないということです。

そうしたら、地上は人間だらけになっちゃうね。

エスさまが天にのぼられたということ、これは「復活」とセットでとてもすばらしいことです。

エスさまは、天に帰られてやることがあります。

私たちも、この地上でやるべきことがあります。

エスさまのことを伝えるという仕事があるのです。

 

エスさまは天にのぼっていかれたけど、もう一度来るとおっしゃいました。

次に地上に来られる時は、みんなで天国に帰る時。

私たちのことを、むかえに来てくれるんです。

 

この地上は、決して天国ではありません。

いやなこと、大変なことがたくさんあります。

世界では、事件や戦争も起きています。

それでもこの地上に希望が持てるのは、イエスさまが再び来られると約束してくれているからです。

私たちも、希望を持って毎日を歩んでいきましょう。

 

※今日の写真はちえみ先生撮影のものを加工して使用させていただきました。